【SS】思いは遠く桜とともに【BSS注意】
1 : マスター   2022/10/18 17:32:50 ID:AwKMbkLG3I
 彼女はとても足の遅いウマ娘だった。もちろんそれはウマ娘の中での話だが。
 地元のレースクラブに入っていた彼女は、レースに出ると大体いつも後ろの方から数えた方が早い順位で、それでも走るのが心の底から楽しくてたまらないというようにいつも満面の笑顔だった。

 僕が彼女と出会ったのは小学生の頃。
 サッカークラブに入っていた僕は、春野の運動公園での練習試合のあと、たまたま同じ運動公園で模擬レースをしていた彼女を見た。
 順位は最下位だった。ゴールの後、誰も彼女には注目していなかった。だけど僕は、まるで優勝したみたいな笑顔で両親に駆け寄っていく彼女から、不思議と目が離せなかった。

 偶然にも、彼女は僕とクラスメイトだった。それまではただ同じクラスにいるウマ娘の子という認識でしかなかった。

 初めて彼女のレースを見た翌日、教室で僕は思い切って彼女に声を掛けてみた。昨日のレース見たよ、がんばってたね……そんな感じのことを、妙に緊張して乾いた喉から絞り出した記憶がある。
 「応援してくれたの!? ありがとー!」彼女はそう言って、僕の手を握りしめた。

 間近で見た彼女の瞳は、まるで桜の花びらみたいにどうしようもなく綺麗だった。
2 : 相棒   2022/10/18 17:33:30 ID:AwKMbkLG3I
 それから僕は、時間さえ許せば彼女のレースを見に行った。
 彼女は相変わらずレースでは弱かった。でも、自分の才能の無さに涙しながらクラブを去っていくウマ娘もいる中、彼女は何度負けても走ることをやめなかった。そしていつも楽しそうに笑っていた。

 ある日、彼女が高知トレセン学園への入学を目指していることを、彼女自身の口から聞いた。
 「中学校では一緒じゃなくなっちゃうね……」という彼女の言葉に僕は「まだ合格できるって決まってないだろ」と意地の悪いツッコミを入れてしまった。彼女は「いじわるー!」と笑いながら僕の背中を叩く。
 彼女が高知トレセン学園に行けば、こんな他愛のないやり取りはもう出来なくなってしまうんだろうか。彼女が受験に失敗すればいいのにと、僅かでも考えてしまった僕は、罪悪感で彼女の目が見られなかった。

 春。
 彼女は高知トレセン学園に無事入学を果たした。学業と本格的なトレーニングの両立は大変だろうが、日々奮闘している彼女を思いながら、僕は僕で中学校での新たな生活に勤しんでいた。
 彼女のメイクデビューの日には、きっと高知レース場へその姿を見に行こう。いつになるかは分からないけど、その日が楽しみでしかたなかった。
3 : トレーナー君   2022/10/18 17:34:21 ID:AwKMbkLG3I
 彼女が高知を去ったのは、それから1年も経たない頃だった。
 詳しい事情は分からなかった。ただ行き先だけは分かった。
 日本ウマ娘トレーニングセンター学園……国内における競争ウマ娘の最大最高の養成機関。単に『トレセン学園』と呼称する場合はこの中央の学園を指す。
 彼女と知り合ったことがきっかけで、僕は競争ウマ娘の世界について図書館やネットである程度の知識を得ていた。もちろんトレセン学園についてもだ。
 日本全国で子供の頃から優勝経験を持つような優れたウマ娘達が集まり、そしてそんなウマ娘でも一度も勝ち上がることが出来ず道半ばで去っていく者が珍しくない。
 入れた時点でウマ娘の中では上澄み。一勝できれば拍手喝采。オープンクラス入りはまさに選ばれし者。
 皇帝、女帝、怪物……可憐な少女の外見に似つかわしくもない称号を持つウマ娘が最上位層には蠢く竜虎の巣──それがトレセン学園。……だいぶ大げさな表現だけど概ね間違ってはいないはずだ。
 そんなバケモノの総本山に、あの今まで勝ち無しの彼女が転入したという。

 一体何があったのか……僕は思わず高知トレセン学園に向かって走っていた。
 いきなり部外者が訪ねても門前払いだったろうが、運良く顔見知りだった彼女のクラブ時代からの友達を学園の正門前で見つけた僕は、話を聞くことが出来た。
 「なんかね、もっとワクワクしたいからとか言って中央の転入試験を受けてさ、みんな受かるわけないだろって思ってたんだけど、何故か合格しちゃったんだよねあの子」苦笑しながらのその言葉を、僕はボンヤリとしながら聞いていた。
 もっとワクワクしたいから……とても彼女らしい理由だなと納得しながら、いよいよ彼女が遠くに行ってしまったという事実が、胸の奥底に鉛のように沈んでいった。
4 : トレピッピ   2022/10/18 17:35:15 ID:AwKMbkLG3I
 彼女がメイクデビューした。僕はそのレースをネットの動画で見た。結果は最下位だった。その動画では彼女の表情はよく見えなかったけど、きっと笑っているんだろう。それだけは確信できた。

 彼女は中央のレースでも……いや、中央のレースだからこそというべきか。一度も勝てなかった。
 それでも全くへこたれず、レースの後はいつも眩しいぐらいの満面の笑顔を振りまいている。
 そんな彼女に惹かれていく人が、いつの間にかたくさんいた。
 彼女のファンは日に日に増えていき、バリバリのG1戦線でやり合っているウマ娘ほどではなかったけど、トゥインクルシリーズで活躍する人気ウマ娘の一人になっていた。

 ある日、彼女のレースを見ていて気づいた。彼女はクラブ時代に比べて強くなっている。時間が経って成長したのだから当たり前という話ではなく、素人目に見ても走りの質が明らかに昔とは変わっていた。その証拠に一着こそ取れてはいないが、掲示板入りは結構な頻度で見られるようになり、二着まで食い込んだこともあった。
 「これは近いうちに勝てるんじゃないか?」ネットの掲示板でも彼女のファンの間でそんな期待に満ちた空気が流れていて、僕も同意見だった。

 彼女のレースを見たかった。自分の、この目で。彼女が初めて勝つ瞬間を記憶に焼き付けたかった。
 次のレースで彼女が勝つという保証はない。だがそれでも、僕は残しておいたお年玉で新幹線の切符を買い、彼女が出走するレース場へ行った。
5 : アナタ   2022/10/18 17:36:07 ID:AwKMbkLG3I
 ウマ娘のレースを肉眼で見るのは初めてではない。しかしやはり中央のレース場は熱気も迫力も別格だった。平場でこれならG1はどうなるんだろう? と想像したらちょっと怖いぐらいだ。

 彼女が出走する未勝利戦の出走時間が近づいてきた。パドックで見るウマ娘達の表情は様々だった。気合を入れている子、緊張を和らげようと深呼吸を繰り返す子、明らかに調子がよくなさそうな子……そして彼女は僕の想像通り、小さかった頃と何も変わらない笑顔だった。

 ゲートイン。スタート。ウマ娘達が砂煙を上げてダートの上を駆けていく。
 彼女は中段やや後方。先頭との距離は近すぎず遠すぎず。いわゆる差しの戦法としてはセオリー通りの位置取りだ。
 そのままの位置をキープして最後のコーナーを越えたところで、彼女が仕掛けた。
 自慢の、と言っていいのかは分からないが、とにかく鍛えた末脚で前に出ていく。
 有名なレースで見られるような切れ味鋭い印象ではない。じりじりと粘ってどうにか前のウマ娘を追い越していくような、そんな走り。それでも確実に順位を上げていっている。
 きっと大勢いるのだろう彼女のファンが、観客席から声を上げている。彼女の名前を、がんばれあとちょっとだと。
 そして遂に、ゴールの手前、紙一重で彼女が先頭に立つ。

 それが彼女の初勝利の瞬間だった。

 歓声が上がる。周りを見ると、涙を流して喜んでいる人までいた。
 彼女は笑っていた。勝っても負けても、それは変わらない。そのことに何故かホッとした。

 そのとき、ふと彼女が何かに気づいたように目を丸くした。もしかして僕のことに気づいたのかと一瞬思ったけど、目線の方向は違っていた。
6 : トレーナー君   2022/10/18 17:37:04 ID:AwKMbkLG3I
 彼女が駆け出す。その先には一人の男性がいた。すぐに分かった。あの人はきっと彼女の担当トレーナーだと。
 そして彼女は……笑顔で、その人の胸に飛び込んだ。
 その笑顔は、今まで一度も見たことがないもので、彼女の両親に向けるものとも、友達に向けるものとも、僕に向けるものとも違っていた。きっと彼女自身も、そのことにはまだ気付いていないんだろう。

 彼女は遠くになど行っていなかった。
 ただ前へと進んでいたんだ。
 進む方向が僕とは違っていた。
 彼女の桜色の瞳に映るのは僕ではなかったんだ。

 彼女はこれからも走り続ける。そして大勢の人を笑顔にする。
 それは平坦な道のりでは決して無いだろう。でも彼女にはもう、支えてくれる人がいる。他の誰とも違う、とびっきりの笑顔を与えてくれる人とともに。

 いつか花咲くその日まで。


〈了〉
7 : 貴様   2022/10/18 17:37:54 ID:AwKMbkLG3I
このSSを書くきっかけになったスレ。
https://umabbs.com/patio.cgi?read=694&ukey=0&cat=765

BSSものを初めて書いてみたんだけど何か盛大に間違えた気がしないでもない。

ちなみに【彼女】にとって【僕】はたくさんいた小学生時代の友達の一人くらいの認識。もちろん顔も名前もちゃんと覚えているし、年賀状も毎年送ってくれるし、将来は結婚式にも呼んでくれるかもしれない。
8 : お兄ちゃん   2022/10/18 22:31:14 ID:Vp19taOMls
いいね😭

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