アストンマーチャン「忘却にて」
1 : マートレトレ   2022/11/18 06:32:35 ID:v5gnS05mlU
書き溜めあり
独自解釈、及び微ホラー注意
2 : マートレトレ   2022/11/18 06:33:15 ID:v5gnS05mlU
おはようございます。こんにちは。こんばんは。アストンマーチャンです。

今日から何日かは、久しぶりの一日オフです。
先日の高松宮記念も、URAファイナルズ決勝戦からの連戦でしたので心配されていましたが、難なく圧勝!圧巻の連覇でした。ぶいぶい。

この時期になると、相変わらず波の音は聞こえます。でも、去年、『無視をする』と決めたあの日から、不思議と体調が悪くなったりはしません。長年苦しめられてきましたが、今度こそ、春のことも、少しは好きになってあげても良いのかも知れませんね。

今日は本当はトレーナーさんもお休みのはずでしたが、明日からトレーナーさんにも連休を取ってもらうので、溜まっていたお仕事を片付けるんだそうです。
思えばトレーナーさんとは、休日も一緒にいることが多かったので、会わない日があることも、ずいぶんと久しぶりな気がします。
ちょっぴり寂しいですが、あんまり一緒にいすぎてくっついてしまっても困りますし、明日からはずっと一緒なので、マーちゃん、今日一日は、我慢の子です。

さて。これからマーちゃんは、お買い物に行こうと思います。明日の用意も兼ねて、色々と買い出しです。行ってきます。またねー。
3 : マートレトレ   2022/11/18 06:34:04 ID:v5gnS05mlU
「ふう、こんなところでしょうか。」
「もう夕方です。ずいぶんとお買い物をしてしまいました。」
「………あそこのベンチで、しばしの休息です。」
「やや!公園の隅にて、はちみーのスタンドを発見!これよりマーちゃん、補給資材の調達任務に移ります!」
4 : マートレトレ   2022/11/18 06:34:42 ID:v5gnS05mlU
ベンチから立ち上がり、歩き出そうとした、その刹那。

「………あ………。」

波の音が、一際大きく聞こえてきました。
5 : マートレトレ   2022/11/18 06:35:21 ID:v5gnS05mlU
気付けば、辺りには誰もいません。ざざあ、ざざあ、という音以外、何一つ聞こえません。あんなに人集りができていたはちみーのスタンドも、ポツンと、移動販売車があるだけです。
6 : マートレトレ   2022/11/18 06:36:16 ID:v5gnS05mlU
ふいに。
背中に、気配を感じました。
慌てて振り向くとそこには、マーちゃんが立っていました。

「………。」

その姿は、マーちゃんじゃなければマーちゃんだってわからないほど、マーちゃんとは違った姿をしていました。
7 : マートレトレ   2022/11/18 06:37:00 ID:v5gnS05mlU
トレードマークの王冠こそ被ってはいるものの、青白い素肌を晒した裸んぼ。それもそのはずです。その身体は足の指先までぶよぶよに膨れていて、あれではお洋服なんてとても着ていられません。
髪も尻尾もほとんど抜け落ち、口もひしゃげていて耳も片方なくて、頬も瞼もお腹もぱんぱんになっていますが、目だけは、真っ直ぐにこちらを見ています。
8 : マートレトレ   2022/11/18 06:38:05 ID:v5gnS05mlU
「………───ぁーぢぁン"」

そのマーちゃんは一生懸命に口の部分を動かしながら、肘から先のない腕を伸ばして、一歩ずつ、こちらに向かってきます。歩くたびに、何か、べしょっていう音がします。小さいときに病院で嗅いだことがあるような、奇妙な悪臭もします。
9 : マートレトレ   2022/11/18 06:38:43 ID:v5gnS05mlU
「…ァーじャン………どボぉじデえ………ギごエ"て………いた…デしょう………?」

………マーちゃんは、動けません。お返事もできません。
不思議と怖くはありませんでしたが、目の前のマーちゃんよりむしろ、耳に響く波の音が大きすぎて、動くことができません。
10 : トレーナーちゃん   2022/11/18 06:39:16 ID:v5gnS05mlU
それでもマーちゃんは、それを受け入れることをしたくはありませんでした。
マーちゃんは、無視をすると決めたのです。
一緒に居たいと言ってくれたトレーナーさんが知らないところでマーちゃんが先に船を降りてしまっては、それは嘘吐きというものです。
せっかく、一緒に居ると決めたのです。
わがままでも、世界に逆らってでも、せめてもう少しだけ、一緒に居たい。
11 : マートレトレ   2022/11/18 06:39:55 ID:v5gnS05mlU
そんな風に両方から、マーちゃんとマーちゃんがマーちゃんの引っ張り合いを始めてしまったものですから、マーちゃんは今度こそ困りました。万事、休すです。
12 : マートレトレ   2022/11/18 06:40:40 ID:v5gnS05mlU


「ガアッ!!」
13 : マートレトレ   2022/11/18 06:41:35 ID:v5gnS05mlU
………ふいに。けたたましい鳴き声が響きました。
同時に、波の音がぴたっと止みました。
振り返る視線の上の方に、いつの間に居たのでしょう、カラスのクロエ・ハーバードさんの姿がありました。
14 : マートレトレ   2022/11/18 06:42:15 ID:v5gnS05mlU
「………クロエさん?」
「………ォ…えーァー………さん?」

マーちゃんとマーちゃんは、同時に、クロエさんに声を掛けました。

「───トレーナーさん、なのですか?」

背後から、今度ははっきりと、マーちゃんの声がしました。
振り向けばそこには、勝負服姿の、何処からどう見てもキュートなアストンマーチャンが、クロエさんを見つめて立っていました。
15 : マートレトレ   2022/11/18 06:45:33 ID:v5gnS05mlU
「やっと………やっと、見つけた。ようやく、探し出せた………。」

クロエさんが泣きそうな声で語りかけます。マーちゃんにではなく、マーちゃんに、です。
16 : マートレトレ   2022/11/18 06:46:34 ID:v5gnS05mlU
「………ごめんな………映し続けていられなくて………見失ってしまっていて………。」
「………だから………ずっと探していた………それでようやく………見つけることができたんだ………。」

二人のちょうど真ん中に居てしまっていたマーちゃんは、横に数歩ずれます。マーちゃんにだって、こんな時の空気は読めます。
それと同時にクロエさんは、あちらのマーちゃんの目の前に降り立ちました。
17 : マートレトレ   2022/11/18 06:47:37 ID:v5gnS05mlU
「………トレーナーさん………。………また、ううん、………今度こそ、『私』のことを、映し続けてくれますか?」

「もちろんだ。もう二度と、目を離したりしない。」

「………ふふっ。約束、ですよ。私の、『専属レンズ』、さん………。」
18 : マートレトレ   2022/11/18 06:48:27 ID:v5gnS05mlU
マーちゃんとクロエさんは、そのまま、お空に向かって歩いて行きました。
気付けばすっかりと暗い空の、まん丸いお月さんに光に向かって。
マーちゃんはしばらくの間、その後ろ姿を見送っていました………。
19 : マートレトレ   2022/11/18 06:49:22 ID:v5gnS05mlU
「マーチャン?」
20 : マートレトレ   2022/11/18 06:50:09 ID:v5gnS05mlU
聞き慣れた声が聞こえて、マーちゃんはハッと我に帰りました。
車の音、早鳴きの虫の声、公園を行き交う人の足音と衣擦れの音。
波の音はもう、ほんの微かにも聞こえません。代わりに耳に入ってくるのは、街の音と、自分の心臓の鼓動と、あと………。

「マーチャン?ボーッとしてどうかした?大丈夫?」

とてもよく聞き慣れた、でも何故か懐かしいとも思ってしまうような声です。
21 : マートレトレ   2022/11/18 06:50:51 ID:v5gnS05mlU
『私』は思わず、声の元に駆け寄り、声の主を抱き締めます。

「えっ!?えっ!!??ちょっ!?マーチャン!!??」

私は抱き締めて、声の主の………トレーナーさんの胸に顔を埋めます。
トレーナーさんが大層困惑している様子がひしひしと伝わってきますが、仕方のない状況なので我慢してもらいます。
ふと目を開けると、さっきまであったはずのはちみーのスタンドはもうとっくに帰ってしまったようでした。ちくしょう。
22 : マートレトレ   2022/11/18 06:51:48 ID:v5gnS05mlU
「トレーナーさんは、マーちゃんがどんな姿になっても、変わらずにマーちゃんのことを、映し続けてくれますか?」

顔を上げ、そう尋ねます。
マーちゃんには自信がありました。
何しろ『マーちゃん』は、クロエさんの姿になったトレーナーさんに気づくことができていたのだから。
マーちゃんにできて、マーちゃんにできない道理はありません。
23 : マートレトレ   2022/11/18 06:52:43 ID:v5gnS05mlU
だからこそ、トレーナーさんにも聞きたかったのです。
『こっちの』トレーナーさんも、例えマーちゃんが違った姿になったとしても………。
24 : マートレトレ   2022/11/18 06:53:23 ID:v5gnS05mlU
「もちろんだ。君から絶対に、目を離したりはしないよ。」
25 : マートレトレ   2022/11/18 06:53:50 ID:v5gnS05mlU
キュートなマーちゃんに抱き締められて真っ赤になりながらも、きっぱりと、そう答えてくれました。

マーちゃんはもう、嬉しくて嬉しくて。
小躍りしたい気分を抑えながら、トレーナーさんと歩き出しました。
26 : マートレトレ   2022/11/18 06:57:00 ID:v5gnS05mlU
「明日からの温泉旅行、マーちゃんはもう計画はばっちりなのです。後で旅のしおりのデータを送りますね。」
「はは、しおりまで作ったか。………仕事が終わって、正にその明日の準備をしようと買い物した帰りだったんだ。マーチャンが公園でボーッと空を見上げていたから驚いたよ。何かあったのかい?」

「えぇっとですね。マーちゃんは、マーちゃんに会いました。」
「………ん?」
「クロエさんはマーちゃんのトレーナーさんで、二人は、二人の世界に行ったんです。」
「………え?俺?」
「違います。」
「え?」

「………旅行、楽しみですね!」
「………ああ!」
27 : マートレトレ   2022/11/18 06:57:45 ID:v5gnS05mlU
いつか必ず、トレーナーさんと私の、どちらかが先に、海へと還る日がきてしまいます。
その日までに、悔いの残らないように。
いつかの後で、お互いがお互いのことを見つけられるように。
今は、今を大切にしよう。
川を下るを共に居てくれる、居ることができる、この人の手を、強く握り締めて。
28 : マートレトレ   2022/11/18 06:58:32 ID:v5gnS05mlU
おしまい

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