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トレぴ 2023/09/22 00:12:53
ID:I6HleehmYg
甲斐と言えば、戦国大名の武田信玄が支配していた土地である。
家康はこの武田信玄を大変に恐れており、その恐怖の感情は最早一種の崇拝にも近い物にまでなっていた。
その事は武田家が信玄の息子の勝頼の代になって潰れてから、家康が武田家の遺臣の多くを好待遇で召し抱え、家中の軍法をほとんど武田流に改めてしまった事からも分かる。
信玄は、戦でウマ娘を使うのが大変に上手かった。そのウマ娘軍団の強さは、戦国でも随一と言っていい。
当然のごとく家康は旧武田のウマ娘をも、数多く召し抱えた。
あるいは家康が甲斐を徳川の領土にする事にこだわったのは、このウマ娘達のためであったのかもしれない。
武田のウマ娘と言えば、木曽ウマ娘であり、背は小さいが大変に力強く、忍耐強い。
家康は、戦に使うためでなく、天下を取った後の内政のためにこのウマ娘達を召し抱えたのだ、と言う人もいる。しかし、この終始冷淡なほどに現実主義な男に、果たして当時そこまでの遠大な展望があったのかどうかは、定かではない。
何にしろ、この時、徳川と縁を持つ事になった木曽ウマ娘達は、江戸時代になっても、徳川のために働く事となった。
江戸時代の頃、宿場町と言えばウマ娘は切って離せなかった。どの宿場にも、交通手段として車を曳いたり、駕籠を担いだり、人をおぶって走る仕事に従事するウマ娘が必ずと言っていいほどいた。
無論、今はJRや京王線と言った鉄道が、街道を繋いでいる。京王線府中駅を降りても、そこには通勤や通学に駅を利用する立場になったウマ娘達がいるだけで、かつてこの場所で生き生きと働いていたであろうウマ娘達の姿を、見る事は出来ない。