663 : ニシノフラワー   2024/06/15 17:39:59 ID:6bnUQagWRY

梅の名所「偕楽園」ですね。100種類以上の梅があって、見頃の時は凄いです。
この偕楽園は水戸城三の丸にある藩校弘道館とセットで建てられました。斉昭さんは「一張一弛」、心の緊張と弛緩のバランスが取れてこそ人間形成が成功すると考えたんですね。偕楽園は、弛緩のほうになります。目の前の千波湖、昔はもっと大きかったそうですが、それを見ながらみんなで梅の花を楽しむということだったそうです。
弘道館とセットなので、実は正門は北側です。まず鬱蒼とした竹林の中に入って行って、急に目の前が開けたと思うと、雄大な湖と咲き乱れる梅の木々が現れる、という視覚効果のもとに作られています。
中にある好文亭の名前の由来は、梅の木の別称が好文木と言ったことに由来します。日本最初のエレベーターがあったそうです。(人力)
でも、斉昭さんは武士なので、ちゃんと戦いのことも考えています。
南から来る敵に対しては、水戸城は千波湖と桜川が要害になっていて、その西端が偕楽園になります。軍団をおける広い場所を確保して、かつここを通らないと水戸城に行けない場所に作っているんです。さらに、竹林の孟宗竹は当時、弓矢の材料でした。また、籠城用の食料として梅干しを想定していて、江戸時代には、梅の木の間に紫蘇が植えられていました。園内に湧水があるのも、防衛線を想定しています。
さらに、北から敵が来る場合、断崖絶壁の水戸台地がそれを阻むのですが、水戸城はその水戸台地の東端にあり、那珂川と桜川の合流点にありました。この2つの川を天然の堀として活用していたわけです。
そして、水戸城を北から攻めるためには、茨城大学付近の坂を通らないといけないのですが、そこからそのまま水戸城を攻めると横から敵を攻撃できる場所に偕楽園はあります。また、その道中には保和苑もあり、水戸城の本丸の外郭として、援軍の集積地として活用できる場所に作られていたんです。